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"自虐"と"他虐"は全然違うよっていう話

 最近、「自虐や謙遜をそのまま受け取って返す人が多いなぁ。」と感じるのでその風潮のにNOを突きつけます。

自虐→相手「いえいえ」→自分「いえいえ」が美学
 相手が自虐・謙遜してきた場合、基本的には「そんなことないですよ。」と否定するのが人付き合いの美学ではないでしょうか?さらに、それに対して「いえいえそんなことはないなんてことないですよ。」と返すべきではないでしょうか。例としては、
A「いや~、馬鹿な私には難しい話ですわ。」
B「いえいえ、Aさんは馬鹿じゃないですよ。」
A「いやいや、私は馬鹿ですよ。」

みたいな感じ。それを、
A「いや~、馬鹿な私には難しい話ですわ。」
B「そうですね。馬鹿なAさんには難しいでしょうね。」
A「」

とする人が多いと感じます。↑ほど直接的じゃないにしても「Aさんは自分で自分のことを馬鹿って言ってたからAさんを馬鹿扱いしてもいい。」という態度でいる人はいます。
 でもAさんが「自分(Aさん)は馬鹿。」というのとBさんが「Aさんは馬鹿。」というのは、確かにAさん=馬鹿ということを言っていますが完全に別物ですよね。

"虐"に限らないよね
 自虐に限らず、謙遜(?)も同様。例えば「お客様は神様です。」だってそうです。
店員「お客様は神様です。」
お客「いえいえ、むしろ○○を売ってくださる店員様こそ神様です。」
店員「いえいえ。」
お客「いえいえ。」

これが買い物の美学じゃないでしょうか。わざわざ言葉にする必要はありませんが、「買ってくれてありがとう」「売ってくれてありがとう」の態度は互いが持つべきです。
 これを、「どっちも神様じゃねーかwwwww」みたいに言う人がいますが、店員からしたらお客が神様であり、お客から見たら店員が神様であり、別に客観的に見て、店員=神様、お客=神様という訳ではありません。
 つまり、甲が「A is B.」と言ったからといって、乙も「A is B.」と言う必要は無く、第三者が客観的に見たら「A is C.」かもしれません。

もう自虐すんのやめよ
 僕もうまく説明できていませんが、「同じ文句でも、発言者によって意味が変わる。」ということです。「別に否定してほしい構ってちゃん」という訳ではなく、自分自身を貶す発言をするのと、他人を貶す発言をするのは別物ですよねということです。
 それが理解できず、「え?だって本人がそういってたじゃん。」という言葉の表面しか分からない人が増えているのであれば、自虐・謙遜・謙虚な態度をとる等は控えた方がいいのかもしれません。自分で自分の優れたところを誇り、褒め称える。それはそれですっきりしたいい文化かもしれませんよ。

まとめ
 同じ文句でも、発言者によって意味が変わる。同じ「Aさんは馬鹿」でも自分自身を貶す「Aさんは馬鹿」と、他人を貶す「Aさんは馬鹿」は完全に別物。その違いが分からない人が増えているならそういう文化は無くしちまえ。

 話はちょっと変わりますが、京都の回りくどい言い回し「ぶぶづけ食べていきなはれ」も「角を立たせないコミュ力」みたいな物なのに「京都人は裏は腹黒い」みたいな捉えられ方していますよね。そういう点でも「言葉の表面しか受け取れない(≒裏のある言葉の裏が理解できないから嫌い)」みたいな人が増えてるってことですかね。

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